まつやま書房TOPページWeb連載TOPページ>流辺硫短編小説集④「相続」
8/10(2011.5.21更新)



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 青梅線沿いのマンションの一室に、市本の勤める塚田司法書士事務所はあった。

 ひと昔前なら、司法書士といえば法務局の近隣にずらりと並んでいるものだったが、今どきは駅前や自宅などで事務所をかまえる方が多い。

 ドアを開けると、プリンターの作動している音が響き渡っていた。応接部屋を抜けて奥の部屋に行くと、市本の師であり雇い人でもある塚田先生が書類に埋もれていた。

「おう、お帰り。どうだった?」

「えぇ、山際さんところと井口さんのところは大丈夫ですね。明日には揃うでしょう。問題は村中さんのところですね」

「市っちゃんのお気に入りのところか」

 ひと回り下の市本を、塚田は気さくに市っちゃんと呼んでいた。市本の目から見て、とにかくこの先生は気負いというものがまったくなかった。それに連日の残業というのに、疲れすら微塵も見せない。時折冗談を飛ばしながらも、作業のスピードが落ちることはない。

 市本は、働きやすい事務所に勤めたことを、何度幸運だったと思ったか分からない。なにしろこういう事務所は数人でこぢんまりとやっているものなので、先生の考えや性格で、待遇や事務所内の雰囲気がまったく違ってしまうのだ。

 司法書士の事務所で働く者は社員でも職員でもなく、『補助者』と呼ばれ、実際各都道府県の司法書士会が発行する身分証にも沿う記載されているのだが、市本が補助者仲間から聞いた話では、先生の運転手やカバン持ちをやらされる事務所や、昼休みさえ私語一切厳禁という事務所などもあるという。それとは反対に、七月の国家試験の前に二週間の有給休暇をくれるという、勤め人には信じられないような好待遇の事務所もあるのだ。

 給与額もピンからキリまで、同じ職種とは思えないような差がある。今まで聞いたキリは、男の一人暮らしでさえもやっていけないような金額だった。

 それらをトータルで考えると、自分は恵まれている、好待遇だとつくづく思った。
しかし幸運と思う反面、不運だったかと考える時も多かった。

 失敗のシの字もなく常に自然体の先生。こんな人にならないと将来独立して事務所をやっていけないのかと、自信がなくなってしまうのだ。

 もし傲慢でミスをするような先生に使われていたら嫌な思いはするだろうが、よーし、早く独立するぞと発奮し、先生がこの程度なら自分だって独立できるぞと自信が持てたかもしれないのだ。

 さすがに都市銀行だけあって、成和銀行の昭島支店には移転しなければならない抵当権が三百件、根抵当権が八十件あった。与えられた半月の期限内に全ての申請書を作り、申請しなければならない。さすがにこの件数ではキツいということで、根抵当権は別の事務所が受け持ったので塚田事務所では抵当権の三百件。この申請件数は、塚田事務所の昨年の申請件数の半数に近い件数だ。だから極端に言えば半月の間に、半年分の件数を申請しなければならないのだ。

 今までの例を見ない、残業に次ぐ残業の毎日。日付が変わってから帰る日々だ。もちろん土日も出勤と相成っている。

 飄々とした先生の顰に倣って働いている市本だったが、さすがにバテバテで煮詰まってくる。表情もこわばり、作業のスピードも落ち、正確さも欠いてくる。しかし、師はその性能がまったく落ちない。つくづく化け物だと思う。

 司法書士業に携わるということは、いずれ独立するということが前提となる。会社であれば社長が死ねば他の誰かを就任させればよい。しかし司法書士事務所ではそうはいかない。もし先生が死んでしまったとして、他に国家試験を受かった者がいなければその事務所は解散となる。資格者がいて、初めて事務所が運営できるのだ。

 そのように、勤める方にとっては不安定な職場なのだ。この業務を生涯やろうと思うのであれば、勉強して国家資格を取って、自分の事務所を構えるしかない。

 もちろん市本も日々勉強し、一年に一度の国家試験も受けている。しかしそれに順調に受かったとしても、あの先生のパワフルさがない自分が一国一城の主になどなれるのだろうか、と今回の破綻騒動でかなり自信をなくしていた。

 書類を打ち出しては組んで、打ち出しては組んで……。破産管財人のB4の書面を一枚付けて申請するカタチなので、通常の抵当権移転登記よりは楽ではあるのだが、なにしろ件数が莫大だ。それにしても根抵当を受け持つ事務所はどうなっているのだろう。根抵当権の移転は所有権者の承諾書が必要だったり元本確定があったりと、抵当権より書類が複雑だ。件数こそ少ないもののおそらく苦労しているに違いない。

 そしてこの他に、通常の仕事もこなしていかなくてはいけない。この作業が大変だからと、他の一般的な仕事を疎かにはできないのだ。極端に言えばこれはいくら忙しくたって、今後に続かない仕事なのだ。むしろ通常の仕事の方を大切にしないといけないほどなのだ。

 後に都市銀行は減りに減り、たった数行になってしまうのだが、皆合併の形を取ってしまったので、成和銀行の破綻以降、どこかの司法書士事務所が期限内に大量の抵当権を移転する騒動に巻き込まれることはなかった。

 破産管財人が入り、裁判所、つまりお上が絡む作業なので、報酬は安く抑えられた。使われている身の市本は具体的な数字こそ知らなかったが、疲れるだけだよ、と珍しく塚田先生の口から愚痴めいた言葉が出た程だから、推して知るべしといったところなのだろう、と市本は思った。

 三百件の中で債務者が死亡している抵当権が三つあり、その一つが村中家だった。抵当権関係の方に多くの時間を取られるので、市本には戸籍を揃える時間など取れない。三つの家族にはそれぞれ協力してもらっていた。

 相続は登記の中でも難しい方で、書類も煩雑であった。一般の人が法務局に登記相談に行っても、抵当権抹消くらいなら丁寧に教えてくれるが、相続となると相談員も暗に司法書士に頼んだらと話を持っていく程である。

 市本の経験上、二、三件の相続を数日間で全て書類を揃えるなんて、無理としか思えなかった。

 それが、どうも何とかなりそうなのだ。実に不思議な気分になる。

―まあ、それも明日次第だな……。書類を次々と組みながら、市本はもう一度村中家の明日の流れを思い出してみた。