まつやま書房TOPページWeb連載TOPページ>流辺硫短編小説集④「相続」
1/10(2011.3.10更新)


(1)

 尋ねてきた男は、見た目京行と同年代に見えた。男は玄関で名刺を差し出すと、京行の母親に促されるまま、応接間に通された。

 そこに京行はお茶を持って行き、自分だけでは難しいからと母親に請われるままに、その説明の場に座り込んだのだった。

 対座している男は年恰好こそ似ているものの、服装に関しては京行とはまったく対照的だった。京行はTシャツにGパン、男はグレーのスーツ姿。どちらも、三十前後の男にとって一般的な格好ではあるが、ウィークデーの日中ということを考慮すると、男の方がより一般的といえた。

 男はよどみのない動作で、京行に名刺を右手で差し出した。それを京行はぎこちなく両手で受け取る。

 『塚田司法書士事務所 市本雄弘』。その他には事務所の住所と電話番号しか印刷されていない白地のシンプルな名刺だったが、生まれてこの方三十年、めったに名刺交換などしたことのない京行にはその紙片と職業が物珍しく、少しの間、それをしげしげと眺めた。

 市本はいただきますと言い、茶を一杯飲んだ。その、下手に遠慮などしない市本の態度に京行はなんとなく好感を持った。山男の京行にとって、銀行マンのようにとにかくかしこまってソフトな笑みを絶やさないような態度は苦手なのだ。

 最初、銀行から司法書士を伺わせると言われた時、京行は司法書士というものがどういうものなのか分からなかった。母親に訊くと、

「あんた大学まで出てそんなことも知らないのかい」

 と、まずため息まじりの言葉が返ってきた。しかしそれに続く説明は、何か公的な書類を揃える仕事、というなんとも抽象的なものだった。

 そんなことから、デスクワークの連中に多いぶよぶよと肉の付きすぎた表情の乏しい男を想像していた京行だったが、意外にも訪れたのは、そんな先入観とは正反対の男だった。

 甘い物を勧めながら、京行は司法書士とはどういうことをする仕事か、といきなり訊ねてみた。

「登記所や裁判所に申請する書類を作成する仕事です」

 母親が目を丸くする横で、京行と市本のストレートな言葉が少しの間行き交った。後日母親はいつ言い争いになるんじゃないかとハラハラしたと京行に語ったが、京行が思い返してもキツい言葉の応酬はまったくなかった。でもたしかに、少々初対面離れしたものだなぁとは思った。


 市本が京行の家を訪れることになった直接の原因は、京行の亡くなった父親の相続登記をすることになったからだ。しかし遠因は、家のローンを組んでいる成和銀行の破綻にあった。

 成和銀行は百年以上の歴史を持つ都市銀行で、都内の主要駅のほとんどに支店を構える店舗数を誇っていたが、不景気のあおりを食ってその長い歴史を閉じることになった。

 亡くなった京行の父親はこの家を買うときに成和銀行で金を借り入れ、ローンを組んだ。借り入れるに際しては当然のことながら家と土地に抵当権を付けたのだが、その抵当権を今回、受け入れ先の新開信託銀行に移さねばならなかった。

 この、抵当権を移すということが、大問題だった。

 都市銀行の破綻という大きな出来事だったので国が大々的に関与することになったのだが、その関係上、債権の移行は期限が明確に決められてしまっていた。そしてその期限は、受け入れ先の銀行が新開信託銀行と決まってから一ヶ月もないという、強行スケジュールだった。

 債権の譲渡先が決まるとすぐに、成和銀行の行員たちは手分けして、それぞれ自分の支店の借入れ客に抵当権移転の承諾を得るための電話を掛け始めた。

 行員たちの方はただ単にマニュアルどおりの内容を伝えることしかできないのだが、客の方ではそうはいかない。なんの落ち度もないのに銀行の破綻によって余計な手間を掛けさせられるとあっては、グチの一つくらい言いたくもなるし、訊きたいことだっていくつか出てくる。たとえば、受け入れ先が店舗数の少ない信託銀行なので、今後の返済手続きが面倒になるんじゃないか、など……。行員たちはできるだけ早く債権譲渡の作業を進めるため、一日何十件と電話を掛けなくてはならなかったが、その一件ごとに時間が掛かり、なかなか予定通りには進んでいかなかった。作業の進まぬあせりと文句を言われ続けるストレス。本来なら自身の身の振り方を考えなければいけない時期でのその作業で、行員は皆一様に疲れ果てていた。

 そしてさらに追い討ちをかけるような問題も発生する。その数百件のローンの中に、債務者が死亡しているというものが数件見つかったのだ。

 行員たちはそれを見つけるたびに飛び上がった。それらは全て、所有権の相続登記をしていないのだ。債務者本人から承諾を取って必要書類をもらって初めて抵当権の移転登記ができるというのに、その本人が死亡しているとあっては登記ができるはずがない。面倒で時間のかかる相続登記を行い、家族の誰かに所有権を移し、それからあらためてその所有権者から抵当権移転の書類をもらってからでないと、登記ができないのだ。

 いくつもの支店でその件が問題になり、支店それぞれから銀行本部に伺いを入れる。しかし返ってくるのは、何が何でもすぐに相続登記をさせろという怒鳴り声。受け入れ先がなんとか見つかり債権譲渡の流れが決まったときには、そんなことはまったく想定していなかったし、それに支店以上に本部は殺伐としていたのだ。

 支店の行員たちはすぐにお抱えの司法書士に連絡を取り、協力を求めた。東京の西の外れにある成和銀行中神支店では専属の司法書士として、市本の勤める『塚田事務所』に登記の依頼を通常行っていた。それで今回、『塚田事務所』にSOSの連絡を入れたのだった。

 中神支店の担当者はその後、債務者の亡くなっている数件の家に訪問するため、カバンを抱えて慌しく飛び出して行った。

 何卒期限までに間に合わせなくてはならないので、と菓子折りを手に大雑把な説明でひたすら頭を下げ続ける成和銀行の行員に気圧される形で、村中家はすぐに相続登記を始める旨を了承してしまった。つきましてはすぐに司法書士を伺わせますと言うと、行員は次の家に向かうべく、自転車にまたがり消えて行った。ゆっくりしている時間はまったくないのだ。

 そして、市本が村中家を訪れたのだ。