まつやま書房TOPページWeb連載TOPページ>流辺硫短編小説集④「相続」
7/10(2011.5.10更新)



(6)


 帰り着くとすでに市本が来ていて、京行はドタドタと慌てて居間に入って行った。

「すみません、待たせちゃって」

 時間に遅れた訳ではなかったが、京行はとりあえず市本に詫びた。

「いや、こちらこそ急がしちゃったみたいで」

「いいんですよ。この子の用事なんてたいしたものじゃないんですから」

 アイスコーヒーを持ってきながら、和子が横からすかさず言い放った。相変わらず厳しいなぁ、と京行は心の中だけで顔をしかめた。たしかに定職に就いているわけではないが、一応は自分の食い扶持くらいは稼いで、家にだっておそらくは並以上の生活費を入れているのだが……。

 父の克晴はなにも言わない男だった。

 進行性のガンで一年に満たない入院期間で逝ってしまったが、その間も何一つ将来のことについて問いただされたことはなかった。

 京行が学生だった頃から終始一貫して、好きなことをやれと言い続けていた。

 母の和子も基本的には同じ意見だった。さすがに応援とまではいかないが、まあ自分の食い扶持くらいはなんとかして、他人に迷惑さえかけなければ別にどう生きようがかまわないと、そういうスタンスをとってくれていた。

 口うるさくなったのは、半年前の冬山で京行が滑落してからだった。その事故で二ヶ月入院し、いまだに肩にボルトが入っている。それまではかすり傷程度の怪我しかなく、しかも父親が亡くなった後だけに和子には相当こたえたようだった。

 体が治り、再びあちこち飛び回っている京行に一度だけ、

「せめて死ぬ確率の少ない趣味だったらねぇ」

 と、ため息混じりに呟いたことがあった。

 市本が書類にチェックを付け終え、明日の予定表を京行に渡した。すでに電話のやり取りで取った戸籍の内容は分かっていたので、明日の京行の行動は頭の中に出来上がっていたらしい。

「まずは昭島市役所で不動産の評価証明……」

「それは私が行って来るわ」

 市本が説明しだしてすぐ、和子が名乗りを上げた。

「おつかいついでに私が行って来るわ。ちょっと遠いけど」

「でも、二人も手間を取らせちゃ……」

「そうだよ、おれ明日は一日動けるんだからさ」

 男二人の言葉を遮るように手を振って、

「私も参加したいのよ」
 と、和子は二人を睨みつけるように言った。

 三人でそれぞれ視線を合わせ、軽く笑いあった。

「じゃあ、お願いします」

 五分程市本が和子に取得の仕方を説明し、次いで京行に向き直った。

「昭島市役所に行くことがなくなったので、まずは江東区役所です。で、この昭和二十三年以前の戸籍を取ってください。電車と駅からの地図はこの紙に書いておきました」

「東陽町、ですか」

「はい。東西線なので思ったよりは時間が掛からないはずです。で、戸籍が取れましたら、すみませんがコンビニでコピーを取って、ファックスを事務所に送ってもらえませんか」

「いいですけど、電話じゃなくてファックスですか」

「うーん、何となくカンなんですけど、江東区役所じゃ終らないような気がするんです。まだ父親の籍にすら辿り着いていませんし。一応、漏れがないようにしっかり見てみたいので」

 予定では明日中に全ての書類を整え、明後日法務局に登記を申請するつもりでいた。昭島市の管轄は東京法務局の立川出張所になる。登記は申請してから完了するまでの日数が法務局によっても少し違うし、同じ法務局でも時期によって違う。それでも大体十日前後見ておけばほぼ間違いなかった。しかしちょっとでも申請書類に不備があると登記所内の手続きがストップし、補正をしに行かなくてはならなくなる。補正がその場の訂正ですぐに直るものなら一日二日の遅れで済むが、書類の不足や付け替えだと、新たに取り寄せたり作成したりで、へたをすると一週間近く延びてしまう。もしそうなれば銀行の指定した期日に間に合わなくなるという事態にもなりかねない。だから不備で止まらないように念には念を入れたいのだった。

「昨日の話では一般的には司法書士の人たちが戸籍を集めちゃう方が多いって言ってたけど、市本さんが取るときもああやっていちいち申請書を書くの?」

 明日の予定の話が一段落したとき、京行が市本に質問した。

「いや、我々は印鑑証明書と評価証明書以外は職権で取れるので、それ専用の申請書があるんです。だから一般の申請書より、もう少し楽ですね」

「ふーん。やっぱりあっちこっち飛び回るんでしょ」

「うーん、たいてい郵送でやりますね。近ければ行って来ますが。まあ今回は特殊なケースなので出向いてますけど、相続登記にはいついつまでに申請しろという期限がないので、お客さんの希望で急いで申請しなきゃいけないとき以外は、都内などでも郵送で集めちゃいます。その方が費用も安く済みますしね」

 和子がアイスコーヒーのお替りを持ってきてその場に座ったので、市本はカバンから書類を取り出した。

「もう二つ、書類の説明です。こちらは遺産分割協議書で、これに相続人の方全員の実印を押して頂きます」

 原則的に、相続登記に印鑑証明書は必要ない。しかしそれは法定相続分で分けた場合で、村中家の場合なら被相続人の妻の和子が二分の一。そして子供は残りの二分の一を均等に分けるので奈津美四分の一、京行四分の一となる。こういう分け方なら印鑑証明は必要ない。しかし相続人のうちの一人だけが取得したり誰かが多く取得したりなど、法定相続分で分けない場合は、相続人同士で話し合いましたという意味合いの協議書を作り、各相続人が実印を押す。その時に印鑑証明書が必要になる。

「伺った通り、和子様が土地、建物とも全て相続するという内容で作ってきています。そしてもう一つ、これは登記申請の委任状です。こちらに関しては、実際に不動産を取得する人の分だけで足ります。ですので和子様のご署名、押印をお願いします。こちらは認印でも構いません」

 この日もまた、市本が村中家を出たのは来て一時間後だった。雨があがり、星がいくつか出ている夜の通りを、自転車で去っていった。