まつやま書房TOPページWeb連載TOPページ>流辺硫短編小説集③「雪下ろし」
2/8(2010.12.20更新)


(2)


 夕方になり、現場に出ていた者たちが事務所に戻ってきた。

「社長、今日の行程表です」

 なんでも屋で社長でもないだろうと、あれほど何度も言っているのに、コータの奴はその呼び方を改めようとしない。後のアルバイト連中には強制的にやめさせ、先輩とかトモさんとか軽い感じで呼ばせているのだが、唯一の社員のコータだけが固く呼んでいるのでまいってしまう。

 なんでも屋を興して十年。手足となって従順に動いてくれているコータも、これに関しては折れようとしない。

「社長を社長と呼んで、なんでいけないんですか!」と、反対にやり返される始末だった。

 戻ってきたアルバイト連中は皆それぞれ、散らばっている椅子に腰掛け、タバコを吸ったり缶コーヒーを飲んだりしていた。今日入っていた仕事は引越しとラーメン屋の大掃除だった。肉体労働を終えて事務所に戻ると、安堵感か虚脱感からか、不思議と五分くらい沈黙の時間が流れるのだ。

 それが過ぎると、ポツリポツリと言葉が飛び交ってゆく。そして段々口数が増えてトーンが上がり、仲間うちの気の置けないお喋りの様相となっていく。

 会話は、やはり行ってきた仕事の内容が多い。

「しかしラーメン屋の裏側ってあんなに汚ねェんだな」

「食い物屋なんてみんなあんなもんだよ。おれが前バイトしてたとこなんかもっとすごかったぜ」

「そういうの喰ってんだからなァ、おれたちゃ」

 おれも話の輪の中には一応入っているのだが、どこか入り込めないように感じるのは皆と一緒の仕事をしていないからだ。横に立てかけた松葉杖が埃にまみれた作業服の彼らとの間に、大きな隔たりを感じさせる。

 おれが左足を石膏で固めることになったいきさつは、二週間前の引越しの仕事にある。狭いアパートの階段から家具を降ろしている時、あと数段というところで足が滑って家具ごと落ちてしまったのだ。そのとき左足で家具を受け止める形になってしまった。

 激痛は走ったが、上から転げ落ちたわけでもないし、何より家具にキズが付かなかったことの方にほっとして、おれはその後も引き続き作業を続けようとした。だが、その後一向に左足に力が入らず、午後になると痛みと共に大きく腫れ上がってきたので、仕方なく替わりの援軍を呼んで医者に行くことにした。レントゲンを撮ると骨にひびが入っていると言われ、有無を言わさず足を石膏で固められてしまったのだ。肉体労働が多く、小さな怪我が絶えないなんでも屋稼業だが、ここまでの怪我は初めてだった。

 行っていない仕事の話はできないので聞き役に徹していたのだが、コータが、例の件で日中誰かから承諾の電話がありましたか、とおれに訊いてきたので、話しがやんで皆がおれに視線を向けた。

「いや、ダメだった。そう言えば五十嵐が結婚するって言ってたぞ」

 ダメだったで会話を終らせると沈黙が流れてしまいそうだったので、おれは五十嵐の件を付け加えた。

 皆から驚きの声が上がった。誰も五十嵐に、彼女がいることすら知らなかった。仲間うちで一番女っ気がないと見られていたのだ。

「ヤマ、お前焦るだろ」

「そっちこそだろ」

 その話題でしばらく談笑が続いた。が、

「そうすると今年だけじゃなくて、もうこの先も冬のツアーに、五十嵐は行けなくなっちゃうなァ」

 というヤマのため息交じりの言葉に、皆が黙り込んだ。いらぬことを言う、とコータが顔をしかめている。

「あっ、おれそろそろ行って来ます」

 松浦が立ち上がり、皆の野太い見送りの言葉を背中に受けながら事務所を出て行った。

 松浦はこれから犬の散歩を三件こなすのだ。なんでも屋には犬の散歩の依頼も結構来るが、それは動物好きの松浦が一手に引き受けていた。普段は無口で、滅多に自分から話し出さないおとなしい男だが、こと犬の散歩に関してだけは別人のような積極性を見せる。客とこまめに連絡を取って交渉し、うまく時間をずらして自分一人でこなせるように仕事を組み立てる。おれはだから、犬の散歩は全て松浦にまかせっきりにしてしまっている。

 電話が鳴り、コータが受話器を取る。どうやら仕事の依頼のようで、はい、はい、と言いながらメモにペンを走らせている。まともな会社に行っていれば出世していただろうに、と仲間の身贔屓でなくおれは思う。人当たりも良く、仕事にもまったくソツのないコータは、こんな儲けもあまり出ない商売には、実に勿体ない男だった。