まつやま書房TOPページ>Web連載TOPページ>北関東から競馬がなくなる日2(曠野すぐり)・ | |||||||
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高崎競馬場(5) 2011.4.15 |
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(4) パドックは人だかりだった。 パドックだけではない。ここでは今まで見たことがないほど人がひしめいている。ラストだからなんとなく来てみたという者もいるだろう。が、最後くらい出来るだけ盛り上げて終わらせてやりたい、そのために雪にもめげず駆けつけたという者も多いはずだ。俺もまたその一人だ。そういった心がけの者がちょくちょく足を運んでくれていたら、今日のこの日を迎えずに済んだのだ。時すでに遅し、といった感じだ。 ドラマなどでよく、死んだ者や重症を負った者に対して身内や恋人が、こんなことになるんなら今までもっと大事にしてあげればよかったァ、なんて泣いている場面があるけど、人間、不幸を予測して早くから的確な行動など起こせるものじゃない。ああいうセリフはもう使い古されてボロボロだから脚本家の皆さんには使ってほしくないもんだ。 今日の高崎がそのセリフのまま。足を運んでくれる客、サービスに努め、入場料すら取らない主催者。今さらだ。 パドックになかなか騎手が出てこない。ジョッキールームの中でなんだかジョッキー以外の人たちも交えて鳩首会談のようなものが行われている。いよいよこれまでか……。 メインの高崎大賞典と最終レースのファイナルカップにドカンといくつもりだったので、今日の俺はまだ馬券を買っていなかった。今度の第八レースだって見送るつもりでいたのだ。賭けないで見送ることができるかどうかが、競馬で儲かるかどうかの目安となるのだ。これが案外難しい。不思議なことに、金がある時ほど、ゆうゆうと見送れるようになる。 騎手が出てきて整列し、それぞれの騎乗馬に走っていって跨る。そのとき一角が小さくどよめいた。どうやら騎手がファンに向かって、このレースで終わりだと言ったようだった。 俺は馬券を買おうかどうか迷った。最後にちょびっと賭けるのはみみっちくて今後の自分がたいしたことない人生を歩んでいくような気になってしまう。かといって、ドカンと勝負する心の準備が出来ていない。なにしろ次の第八レース、結果的には最後のレースだが、本来なら何の変哲もない平場レースなのだ。 それにしても、騎手が客と言葉を交わすなんて、これぞ地方競馬の醍醐味といったところだ。もし中央競馬でそんなことやったら資格剥奪もんだろう。この、客との近さがなんともいえない魅力だ。野球だってジャイアンツなんか間違っても試合中に口聞いてくれないが、パリーグのマイナー球団なら守備の最中に話してくれることがあるのだ。 馬券売場は混雑している。最終レースとなってしまったから、買い目や金額を増やした客たちが馬券の購入に手間取っているのだろう。 その混雑さが面倒で、俺は結局馬券を買わなかった。締め切りのベルが鳴り、俺はゴール前へと向かった。しかし俺はそこで足を止めた。腹具合がいきなりおかしくなったからだ。 俺は急いで近くのトイレに入って行った。高崎競馬場のトイレはどこも小さく、それぞれ個室の数も少ない。腹の具合は急降下で、もし個室が全部埋まってたら他のトイレまでたどり着けるか疑問だったが、その心配も杞憂に終わり、俺は空いている個室の一つに入った。しかしレースが始まるって時にトイレが一杯になるなんてことも、ちょっと考えられないとあとで気付いたが、この時の俺はそれ程平常心を失っていた。しゃがんで第一陣が過ぎ去った頃、レースのスタートが切られたみたいだった。あァ、俺は彼らの勇姿を見納められなかったのかと思いながら、来るべき第二陣の余波を感じていた。 この腹の急降下、何が原因だろうと俺は考えた。寒さからくる冷え、喰いすぎ、昨日の深酒、はたまた有馬でつるんだ奴の風邪がうつったなどなど…。まあいずれにしても、いきなり待ったナシというのはやめてほしいなァと、俺は自分の腹にお願いした。 ゴール前の攻防、そしてゴール。あの歓声はそうに違いないが、第二陣の来た俺はまだしゃがみ続けていた。俺の場合こういった本格的な闘いの時は、二分や三分でケリがつくことはないのだ。 それにしても、個室の中は狭い。冬は着膨れしているので特にそう思う。ゴミが落ちていたり汚れたりしているわけではないが、地方競馬のトイレは建物自体が古いので、まるで昔の学校のトイレのようだ。薄暗くて狭い。これに関しては、悔しいが中央競馬に一票だ。明るくて広い。個室ひとつひとつも広い。数も多く、だから空いている。文句の付け様がない。もし人が用足しに来なければ、そこで立食パーティーを開いても大丈夫なくらいだ。 広い広い東京競馬場の中で、しかし、一ヶ所だけ地方競馬のトイレを味わうことができる。それは、正門を入ってすぐ、右側階段下にあるトイレだ。小さくて狭いそこは、昔ながらの金隠しもあって、古き良き時代の味わいを堪能させてくれる。 放送が流れた。雪の為、第九レース以降のレースは中止にするという内容のものだ。 最後のレース、そして打ち切りの放送。それらをトイレの中で聞いたのは、おそらく俺だけなんじゃないのか。それもまたオツなもんじゃないか、と俺は水を流しながら思った。 トイレから出ると騎手たちの挨拶が始まっていた。すでに足利で一度体験している俺だが、何度見ても寂しい。類稀な技術を持った人たちが、なにも悪くないのに職を失う瞬間だ。世の中資格資格って言ってる奴が多いけど、これを見てみろよ。資格があったって、腕があったって、それを買ってくれるルートが開拓されてなきゃ意味がなくなっちまうんだぜ。まあ俺が偉そうに言えることではないな。資格を取るために努力している連中の方が俺なんかよりよっぽど偉い。 レースの中止と競馬場の廃止に、彼ら騎手たちは怒っているように見えた。 俺はなんだかいたたまれなくなり、主催者の挨拶にも今日は罵声を浴びせることなく、そそくさと高崎競馬場をあとにした。 駅までの道のりは十分程だが、俺は傘を開く気になれず、頭や肩に雪が積もるのも構わず、俯きながら歩いて行った。 |
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※『北関東から競馬がなくなる日』は曠野すぐり氏が新風舎にて刊行した 同書名著作物を改訂したものです。 |
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