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第十六回(2010.07.20更新)



小学生の頃、友達と妹の三人で和銅遺跡を訪ねたことがある。まだ川越線は電化されていなかった。妹が寄居のホームで水筒を落とし、中のガラスが割れてしまって泣いていたのを覚えている。

肝心の遺跡だが「これだ!」というのに遭遇しなかった記憶がある。「和銅遺跡→」という案内に沿って歩いていったら、山を下りてしまっていた感じだった。道すがら銅の色の石を見て「これそうじゃないか?」なんて言って、それはそれで面白かった。


もうそれから25年以上経つのだろうか、また訪ねてみることにした。
いまは遺跡の案内図などがしっかりしていて迷うことはなさそうだが、「秩父市和銅保勝会」で見学ツアーをやっているのでそれを申し込んだ。


久々に電車に揺られ、秩父鉄道の和銅黒谷に向かう。車で行けば電車の待ち時間も気にすることがないが、せっかく和銅にあやかって黒谷の駅名を改称して「和銅黒谷」としたその駅にも降り立ちたかった。

駅名は平成二十年四月一日に改称された。和銅奉献1300年記念として市や地元などで計画され、遺跡の保護活動をしている秩父市和銅保勝会が中心になって検討し、実現したものだ。



ホームに降り立つと、直径約1.2メートルの「和同開珎」のモニュメントがお出迎え。駅舎を出ると案内をしてくれる和銅保勝会のメンバーが待っていてくれ、「こんにちは。きょうは宜しくお願いします」とあいさつ。まず和銅元年(七〇八)に創建したとされる聖神社へ向かう。
「どこから来ましたか?」
「秩父の野坂ですよ。小学生の時に友達と来て以来です」
「懐かしいでしょう」
「実はあまり記憶にないんですよ、歩くのに必死だったんで」
そんな会話を交わしながら神社に着いた。境内でガイドの受付を済ませて境内を見てみる。参拝者が願い事を書いた絵馬がおもしろい。「金運が上昇しますように」「宝くじ必勝!!」「お金がたまりますように」など…
金運のご利益があるのか、「宝くじが当たって、御礼に参拝に来た方もいます」とのこと。金運には恵まれていないので、「金運守」と原寸大の「和同開珎」の銅製メダルを購入した。

ここで素朴な疑問。和銅の「銅」と「同」の違いである。係員に質問をぶつけてみると、鉱物や地名は「銅」、通貨は「同」の違いだけらしい。そういうことだけのようで、深く考えないほうが良さそうだ。

参拝を忘れていたので、社殿に向かって参拝をする。賽銭は銅にあやかって、その色の硬貨を入れた。
普段は見ることが出来ない秘宝を見せてもらった。自然銅の塊と和同開珎、緑青がきれいな和銅製のムカデ雌雄1対。
「この緑青のムカデがきれいですねえ」
「前は祭りのときもここを開かなかったし、なかなか見せてもらえなかったんですよ」
和銅鉱物館には銅鉱石などが展示されている。長瀞や足尾のもあったりして面白い。
「では次の場所へ向かいましょう」
とガイドに促され、露天掘り跡へ向かう。坂道を雑談しながら歩く。
「今日は晴れてよかったですね。日が差さないと寒いし」
「そうだいね。春になればいろいろな花が咲きますよ。この辺から出牛(じゅうし)にかけて断層があって、そのあたりから自然銅が出たんです。私が生まれていないから“どう”かわからないけど」
ちょっとお茶目なガイドさんである。



やがて露天掘り跡に着き、「日本貨幣発祥の地」と記された和同開珎の巨大モニュメントがある。
記念撮影ポイントでもあるらしく、ガイドが私を入れて写真を撮ってくれた。
露天掘り跡だが、山の上から沢のように凹んでいる。どうやらここが断層のようで、
「右と左、岩盤の色が違うのが分るでしょう。これが断層なんです。いつかは特定できないのですが、和銅を採る前に断層がずれてその中から自然銅があふれ出して、手前の沢を埋め尽くしたとも言われています。“掘る”というより拾っていたのかもしれませんね」
その上の山道を登っていく、散策できるように整備されているのがありがたい。ちょっと高齢なガイドさんの足取りは軽い。
「子供の頃の遊び場だったんでね」
その凹部をまたぐように橋がかかっていて、断層がよく観察できる。さらにこの上には「和銅開寶之古跡」碑があるとのことだが、立入禁止になっていた。

山道を和銅沢川沿いに下りていく。
「“羊太夫の伝説”というのがあって、不思議な羽を持つ家来の助けで、疾風のごとく和銅を奈良まで毎日送り続けたという話もあります。それが奈良の大仏に使われたのでは」とのこと。
「当時は道も整備されていないだろうから、無理なんじゃないかなあ」とガイドは現実的に話すが、こういった伝説はあってもいいと思う。何しろ和銅が朝廷へ献上されて年号が「和銅」になったのだから秩父のパワーはすごい。
やがて山道を抜けて住宅地へ出て、最後に「内田家住宅」を見学する。
長屋門があって、かなりボロくなっているのは否めないが、当時は門があって、ここに門番がいて用件を聞いて母屋へ伝えていたそうだ。母屋の外観を眺めると左側に扉があるが、そこには馬が居たとのこと。
「馬はいまでいえば車で、明治の初期まで飼っていたそうです。それはもう、人間と生活していますから、大切に世話をされていたそうです」
とのこと。中二階が養蚕部屋になっていて、母屋に入ってみると繭玉(小正月の飾り)に使う枝が置いてあった。神棚には御札の他に達磨が五つ置いてあり、両目が描かれていた。代々名主を務めた家柄で、また和銅開削時は会計を司り、人足の総元締めであった。

久々の和銅遺跡探索、かなり充実であった。
時間とコースの関係で金山鉱山採掘跡や精錬所跡へはいけなかったが、また時間があったら出かけてみようという気分になった。






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次回の更新予定は7月30日(金)です
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