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第十八回(2010.08.15更新)最終回![]() |
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山奥に入り込むとそこは突如として要塞と思わせる建物の跡が目に飛び込んできた。 廃墟なのか現役なのか。ひと目見ただけでは分らない。というのも廃墟となって崩壊寸前の施設もあり、事業所入口や簡易郵便局は明かりがついている。「株式会社ニッチツ」の秩父事業所だ。 現在は結晶質石灰石を生産していて、建築原材料や樹脂・製紙・塗料などの原材料として幅広く利用されている。この付近は、古くは武田氏が開発したといわれ、平賀源内は金鉱脈を発見した。また石綿も発見して燃えない布「火浣布」を幕府へ献上した。 私は「旅行貯金」というのをやっている。旅の記念に郵便局に立ち寄って貯金をして、通帳に郵便局の名前が入ったゴム印を押してもらうというもの。いま通帳は12冊目。古風な木造の簡易郵便局に立ち寄って貯金することにした。 「古風な建物がいいですねえ」 「野坂から来たんですか。台風のときが一番心配ですよ。両側の山道が土砂崩れでもしたら…」 と話ながら「秩父鉱山簡易郵便局」のゴム印が押された。 ひと昔前ならばこういった簡易郵便局はオンライン化されておらず、手押しの印字機で金額が記入されたが、古風な建物に似合わずオンラインである。 ニッチツからの道を中津川方面に下りていき、中津川集落へ行ってみる。 ここでの唯一の民宿が「中津屋」だ。 ちょっとした知り合いということもあって顔を出してみたが、団体のお客様がいてちょうど夕餉の支度をしているところだ。 「仲井さん、いいところへ来た、ちょっと手伝っておくんない」と配膳を手伝うことになった。てんぷら料理はここのご主人でNPO法人「森と水の源流文化塾」代表の山中進さんが揚げている。妻の三千恵さんの指示のもと、お客様に「お待たせいたしました」と配膳していく。もっとも私も料理をいただけた。進さんは「仲井さんのイワナがなくてごめんよぉ」と。お客さんが「そりゃかわいそうだ」と私を個人客と思ったらしく、三千恵さんは「いいのよ、この方は遊びに来ているんだから」と笑いながら、それでもご飯をお替りさせてもらった。 お客さんの夕食が終わったあと、中津川集落の魅力とニッチツについてご夫妻に話を伺うことにした。 三千恵さんは、 「何もないけど、都会には無いいいところがある。自然がいっぱいあるね。家のつくりも集落の人々も古きよきものがそこかしこに残っている。お客さんは東京の人が多いかな」 と、“何もない魅力”を話し始めた。 私が「なぜ都会の人が中津川へ来るのでしょう」と問うと、 「郷愁をそそるものがあるんでしょう。住んでいる人も昔ながらの雰囲気を残しているし。服装もそうだし、ゆったりとしているね」 現に三千恵さんはモンペ姿だ。 「集落のほとんどの人は携帯電話もパソコンも持っていないけど、人間らしいところが魅力ですよ」 と語る。実際に私の携帯の電波は圏外になっていて、民宿の前には緑色の公衆電話がある。 「畑に作物を作って、多く収穫したら近所の人に分けてあげるとか、お互いに助け合って生きている。ちょっと迷惑なんだけどシカやイノシシが時々出ますよ。都会だとボーっとしちゃうよね。ここだと畑仕事をしたりやることが沢山ある。ここで七十歳はまだ若いほうですよ。“あそこが痛い、ここが痛い”といっても畑仕事をしている」 ご夫妻はカモシカを一年間育てていたそうで、その写真を見せてくれた。懐かしそうに眺める。赤ちゃんの時はミルクを飲ませたり、進さんは散歩に連れていったりしたそうだ。「メーちゃん」には自由行動の時間があって、どこかへ行ってしまっても時間がたつと必ず戻ってきたという。 三千恵さんは写真を眺めながら、 「天然記念物だから放さなくてはいけなかった」 と、ちょっと思い出したのか、寂しそうに話した。 進さんはニッチツに勤務されていたことがあり(当時:日窒鉱業㈱)「歴史遺産として大切にしたい」との思いがあるという。 三千恵さんは、 「私のほうがニッチツは詳しいよ。ニッチツで保育士をしていたし、母が助産婦をしていたんです」 すかさず、進さんが、 「ここは俺に話してくれって、仲井さんが言ってるじゃないかよぉ」 典型的な秩父の“おっとう”と“おっかあ”だ。 進さんはかなりの思い出があるらしく、ニッチツは楽しみや文化を与えてくれた所だと言う。 「小学6年生のとき、50円を握りしめて映画を観に行ったいなあ… 映画館があってそれは福利厚生のため、従業員は無料だったんだね」 その時代は店が4軒ほどあって、衣料品や食料品、何でも揃っていたそうだ。現在は1人しかいない人口も、当時は鉱山町全体で二千人ぐらい居たのではとのこと。 「芸能人を呼んだり、年に1回お祭りがあった。それも楽しかったいなあ。いろんな文化が濃縮したところでもあったよ」 進さんは昭和45年8月に日窒鉱業に入社する。 「社員・鉱員・下請・組と区分けがはっきりしていてね。風呂もそう。賃金もそう。カンテラをつけて弁当をぶらさげた顔が真っ黒な鉱夫たちが印象に残っているね」 学校があり、診療所があってそこでは手術もできたそうだ。 「大事故もなくつつがなく過ごせたなあ。カラオケもなくって晩酌が唯一の楽しみだったなあ」 NPOのエコツアーで行くと「コロッケ屋がここにあった」とか、当時の光景が鮮明に蘇るそうだ。 そんな話を聞いていると、廃墟同然の場所に繁栄当時の光景が思い浮かんできそうだ。 翌日、三千恵さんに集落と名所を案内してもらった。 川沿いに段々に畑と家がある。そこを降りていく。三千恵さんは気軽に近所の家に声をかけ、「友達だからこの人がうろうろしていても怪しく思わないでね」なんて一緒に挨拶をしてくれた。中津川の鎮守様である諏訪神社に詣で、平賀源内が居たという建物へ。三千恵さんはなかなかの勉強家らしく、歴史はもとより植物にもかなり詳しい。 「仲井さん、この葉っぱの名前分かる?」 「知らないなあ」 「イラクサといって、触ると手が痛くなるんですよ」 そんな会話をしながら、集落の入口にある「足の神様」に手を合わせた。何しろ車がよくパンクするので、「安全運転をしますので無事に帰れますように」と心の中で念じた。 |
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「秩父見どころ寄りどころ」は今回で最終回となります。 十八回にわたり閲覧していただいた方々に深く感謝申し上げます。 |
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