まつやま書房TOPページWeb連載TOPページ>東上線 各駅短編集最終回

同タイトルは2012年10月に全駅分を掲載した書籍を刊行しました。
詳細はこちらをご覧下さい。


第二十八回(2010.11.25更新)



10月は、極端に日が短くなったように感じる時期だ。おだやかな日中と日が落ちたあとの冷たい風に、差があるからだろうか。

みずほ台の西口を降りた文乃は、立ち止まって空を見上げた。日は沈んでいたが、まだ闇に包まれてはいない。うっすら灰色がかった空を、さらに濃い灰色の雲が覆っている。

ロータリーの入り口にある大きな樹は、その時間、騒がしくなる。スズメたちが眠りに就くために集まり、鳴き声が響き渡るからだ。
文乃はその音に聞き入る。首筋がちょっと寒いけど、まだそれほどではない。


長年ここを通っているけど、スズメの寝床になっていることを知ったのは最近のことだ。こんな早い時間に帰って来たことがなかったから、スズメたちの就寝儀式を知るチャンスがなかった。

最初は、何の音だろうと思った。立ち止まってきょろきょろ見回して、それが鳥の鳴き声で、大きな樹の上の、生い茂る葉の中から聞こえていると気付いた。

なんだか妙に懐かしく感じ、しばらく聞いていた。文乃が小さかった頃はスズメがそこかしこに飛んでいて、こんな夕闇の終身儀式も毎日のように聞いていた。

仕事が減って残業がなくなったのは数ヶ月ほど前からだ。その頃は日が長かったので、まだ明るいうちに帰り着いていた。今は日が短くなって、スズメたちが寝床に就く時間と重なることになった。

スズメの合唱は心地好いが、仕事の方が心配だ。こんなにヒマになって大丈夫なのだろうか。こんな時間の帰宅では、色気もなにもない真っ黒のスーツが寂しく感じる。今までこれを着込んで、プライベートそっちのけでバリバリやってきたというのに。

――なんだったんだろ、今まで……。

文乃は顔を上に向けながら、小さくため息を吐く。

もしリストラでもされようものなら、またヒラから仕切り直しだ。いや、それ以前に、すんなり再就職できるかどうかがまず問題になる。

――こんなに一生懸命やってきたのに、切られるときってあっけないんだろうなぁ……。

文乃は重い足取りで歩き出す。

右手に持つエコバッグの中にあるのは、合い挽き肉、卵、豆腐、長ネギ、浅漬け、プリン。これまでは出来合いの物が多かったのが、早く帰れるようになったのでちゃんとした食材を買うようになった。自分のためだけに作るのは味気ないが、出来合いを簡単に食べ終えて時間を持て余すのはもっとイヤだ。


みずほ台に住んだのは親戚のおばさんがいたからだ。東京に就職が決まったとき、女の一人暮らしを心配した両親がおばさんの住んでいる町を希望したのだ。

住んだ当初は、どこといって特徴のない地味な町がイヤだった。なんだかこの町に住んでこの電車で通っていたら、キャリアアップできなさそうな感じがした。できる人って、もっと洗練された町に住んでるんじゃないか、と。でもそのうち、仕事が忙しくなってそんなことに構っていられなくなった。

そして最近、仕事が減って再び考える時間ができた。本当になんの変哲もないなぁ、この町、この電車……。
でも、あのスズメたちがその思いを緩和してくれた。なんだかスズメたちのあの鳴き声を聞いていると、なかなかいい町に思えてくるのだ。

子供の頃にほんのいっとき凝った、父親とのスズメ捕りを思い出した。ザルをひっくり返して、糸を結び付けた短めの割り箸をザルの端に掛ける。下に餌を撒いておいて、スズメが食べに来たら糸を引っ張る。

それで、数匹掴まえた。掴まえたって飼うわけでもなく、すぐに逃がすのだが、それで満足だった。マンガやテレビなどでこんな罠を見た文乃が、父親にやってくれとせがんだのが発端だった。とても手の届かない空を飛び回っているスズメを捕まえられるのが面白くて、一ヶ月ほど続けた。父も、じっと息をひそめて娘と共同作業をやっているのがうれしかったようで、休日は必ず付き合ってくれた。掴まえたとき、にこっと笑いあった父の顔が印象的だった。

スズメたちの騒がしい鳴き声を聞いて、その当時を思い出した。都内でスズメはもうほとんど見かけなくなってしまったが、ここでは駅前にスズメの眠る樹があるんだなぁと、少しほんわかした気持ちになった。せっかく仕事がヒマになったのだから、たまには実家に帰ってみようかな、とも思った。


空がすっかり暗くなって、それと同時にポツリポツリと雨が降ってきた。スーツはぱんぱんにきつかったが、文乃は帰りの足を速めた。

――どうせならリストラされるまで頑張ってみよう。

スズメを思い浮かべながら、文乃はそう誓った。






― 了 ―
「東上線各駅短編集」は今回で最終回となります。
二十八回にわたり閲覧していただいた方々に深く感謝申し上げます。

同タイトルは2012年10月に全駅分を掲載した書籍を刊行しました。
詳細はこちらをご覧下さい。


【駅周辺散策】
■■みずほ台■■■

住宅地が大々的に開発されると、駅がなければ新設され、既存の駅がある場合はイメージをよくするために駅名が変えられます。そして、駅の名前にはたいてい、「野」や「台」が付くことになるのです。
たとえば、横浜線の「八王子みなみ野」がそうです。他にも、イメージがよくて宅地開発に力を入れる横浜市や千葉市の周辺では、「野」や「台」の付く駅がゴロゴロしています。
東上線で言えば、「ふじみ野」がそうです。東武がニュータウン開発として力を入れる駅で、東上線の中では新しい駅なのに、特急も停車します。
しかしどうもこの東上線、「台」の付く駅はいまいち冴えません。
「ときわ台」こそ、戦前とはいえ東武が一大宅地開発を行なった駅で、当時は瀟洒な駅舎と見られていたのだろうという面影を残します。しかし同じく「台」の付く「朝霞台」と「みずほ台」には、新興住宅地の醸し出す雰囲気がありません。
「朝霞台」は武蔵野線との乗換えがあるので人の流れも多く、東上線に居並ぶ平凡な駅のイメージはありません。しかし「みずほ台」は東上線ならではの平凡な駅なのです。
駅には24時間営業のスーパーが入っていて、駅ビルは上階がマンションになっています。しかしそれは隣の鶴瀬もそうで、この駅だけの造りではありません。目新しさを感じさせない、まったく平凡な駅なのです。
なんとなく、東上線の持つイメージを駅として表している、言ってみれば東上線の看板駅のようなところです。





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