まつやま書房TOPページWeb連載TOPページ>東上線 各駅短編集第十七回
第十七回(2010.8.5更新)



ようやく志賀の三叉路まで辿り着いたとき、タカシのシャツは汗が絞れるくらいになっていた。この暑さの中、もう2キロ以上歩いているのだ。シャツどころか、汗を拭っているタオルだって絞れるほどだった。体力には自信のあるタカシだったが、今日だけは熱中症も人ごとじゃないと戒めた。

梅雨が明けてから、毎日毎日30度を大幅に越える日々だ。せっかくの七夕祭りなのだから天候がくずれないのは喜ばしいが、こうも極端に暑いと、具合の悪くなる人が頻出したりして、祭りの運営に支障が出ないか心配になってくる。


タカシは、小京都を巡るのを趣味としている。休みを利用して、北は弘前から南は知覧まで各地に五十ほど散らばる小京都を巡り歩いている。この日向かっているのは小川町。それもちょっと趣向を凝らして、隣の武蔵嵐山から歩いて向かっていた。ここは小京都の中ではユニークな場所で、唯一、隣り合った駅に並んでいるのだ。全国ではここだけで、佐野と足利は惜しいことに間に一駅挟んでいる。

こまめに出掛けている成果で、すでに訪れていない小京都は数ヶ所のみとなっている。今日も、当初はその残りのうちのどこかに行こうと考えていたタカシだが、しかし急遽予定を変更して小川町にしたのだった。もう何度も来たことがあったが、ちょうど七夕祭りで、小京都のそれを味わってみようと思ったのだ。全小京都達成も急ぎたいところだが、祭りは年に一度しかない。


坂を、ゆっくり登ってゆく。嵐山町と小川町の境だ。両方の小京都を跨いだ喜びは、この暑さで吹っ飛んでしまっている。まったく、田舎のローカル線ならいざ知らず、通勤電車の東上線で駅間8キロはないだろうと文句たらたら足を進める。今回は七夕だけを目的にして、小京都間を歩くのは別の機会にすればよかったと後悔するが、もう遅い。この辺りがちょうど中間なのだ。

坂が下りになり、山の様相が薄れてくる。人家や建物が徐々に増えてゆき、人工物のせいで暑さも増してくるようだ。背中のディパックに入っているペットボトルはもう空だ。

それでもようやく、道の駅まで来る。嵐山からここまで6キロほど。まったく酔狂なことだと、思わず苦笑してしまう。タカシは寄ろうか迷ったが通り過ぎた。一旦休んでしまうと残っていた気力が体から流れ出てしまいそうだし、それに以前来たこともあった。

小京都小川町の七夕といっても、全国各地にある七夕祭りとそう違いはないだろうと思っていた。縁日があり、踊りがあり、花火大会があり……。しかし短冊は違うはずだと踏んでいた。この小川町は和紙の里として知られている。きっと笹の葉にゆれる短冊は、さまざまな美しい和紙で飾っていることだろう。

JRとの乗り換えのある小川町は嵐山より街の規模が大きい。武蔵嵐山駅から少し離れると住宅ががくっと減ったが、小川町はまだ駅が見えないのに住宅や店が通りに並ぶ。コンビニやレストランが打ち出す冷たい飲み物の幟を見るたびにフラフラと寄りそうになるが、我慢して歩き続ける。このまま駅まで歩き、小川町の地ビールを飲むことをもう一つの目標にしているのだ。地ビール飲み歩きは小京都と並んでタカシの趣味で、だからこそこの暑さの中の、歩いての小川町入りなのだ。電車でひょいと乗り付けてのそれと、喉をカラカラに乾かしてのそれとでは味わいがまったく違う。

駅が近くなって熱がこもっているからか、道路にはゆらゆらと陽炎が立っている。この年の異常な暑さは世界規模で、ヨーロッパではアスファルトが溶けているところもあるという。なんだかあの陽炎の立つ場所、足を踏み込んだらずぶっといきそうだ。

駅の近くは、さり気なく小京都の風情を漂わす。映画のセットのような大規模観光地になっていないところが、タカシは気に入っていた。「忠八めし」や「女郎うなぎ」など、小川町名物が掲げられた看板を見ながら駅へと向かう。

ポケットの携帯電話が震え、汗で取り出しにくいそれをタカシは摘み出す。着信は友人からで、大方飲みの誘いだろうと思いながら電話に出る。
「おいキョー、今晩ヒマか?」
「いやぁわりぃ、今日は小京都なんだ」
キョーというのは親しい飲み仲間からのあだ名だ。タカシの名が「京」なので、そう呼ぶのだ。その名前だったからこそ、小「京」都にも凝りだしたのだった。

電話を切って再び歩き出す。これからビールを飲んで、街並みを堪能して、温泉で一回汗を流したあと、七夕を眺める予定だ。笹と和紙の垂れ下がる夕暮れの小京都を思い浮かべながら、タカシは駅舎を数枚、角度を変えながら写した。




― 了 ―
次回の更新予定は8月15日(日)です

【駅周辺散策】
■■小川町■■■

和紙の里小川町は、駅周辺に古い街並みを残します。同じ沿線の小江戸川越より規模は小さいものの、その分観光地化されてなく、質素な趣を味わえます。

東京方面から鉄道で小川町に行くには、東上線と八高線、二つの選択肢があります。八高線は本数が少なくて不便ですが、都下から向かうのであれば、時間が合えば八高線の方が便利です。

どういうわけか東上線、八高線の両線とも、小川町と一つ前の駅とがかなり離れています。東上線は武蔵嵐山、八高線は明覚なのですが、どちらも8キロほどあります。首都圏でしたら5駅くらいあってもおかしくない距離です。
古くから栄えた小川町なので、一極集中になってしまって、近くに駅ができなかったのでしょうか。それとも地形の問題でそうなったのでしょうか……。


いずれにしても小川町に鉄道で入るときには、長い電車の響きを聞いて、ということになります。東上線からであれば、「ヴーーーッ」とモーター音が鳴り響き、八高線であれば、「タタン、タタン、タタン」という軽快な音がのどかな風景に広がります。なだらかながら登りが続くので、より響くのです。
「あれ、まだ着かないのか?」と少し焦ってしまうような長い時間、そんな音に包まれて古い町に入ってゆくのが、一層の趣を感じるのです。

これが古い町に入ってゆく一つの儀式のような感じがして、私はいつも車でなく、電車で訪れるのです。



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