| まつやま書房TOPページ>Web連載TOPページ>東上線 各駅短編集第八回 |
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第八回(2010.05.5更新)![]() |
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男衾駅に降り立った徳雄は、跨線橋をゆっくりと上がってゆく。 膝が痛いので、一段一段、ゆっくりと。つらいことはつらいが、気分は悪くない。エレベーターなど到底設置されないようなこの駅の古めかしさ、無骨さが好きなのだ。人がいなくて邪魔になりようがないのだから、ゆっくり上っていけばいいだけのことだ。 時間をかけて跨線橋を渡りきった徳雄は、改札を出る。これで自動改札でなければもっといいのに、と思うが、さすがにそこまでは無理だろうとも思う。 ローカルな駅は大抵そうだが、ここも改札は片方にしかない。駅前に商店はなく、バスもない。タクシー乗り場こそあるが、タクシーの姿はない。なんだか、真ん中で大の字になってみたくなる。 徳雄は目をしかめながら、空を見上げる。広がる青空には、ちぎったような雲がところどころあるばかりだ。人がいないので、初夏の気持ちいい空を独り占めしたかのような気分になる。 初めてここに降り立ったときも、青空だった。だからこそ、この駅が気に入ってしまったのだ。もし天気が悪い日だったらどうだったか分からない。出会いというものは、人だけでなく、タイミング一つだなとあらためて思う。 東上線は池袋から埼玉の寄居まで走るが、池袋からの直通運転は小川町までだ。そこから先、東武竹沢、男衾、鉢形、玉淀、寄居は車両の短い単線で、醸し出す雰囲気と車窓は、ローカル線そのものとなる。 徳雄はディパック一つの軽装だ。天気のよい日を選んで来るので、折りたたみ傘すら持っていない。ノートが一冊と硬い下敷き、鉛筆、色鉛筆。そしてもう一つ、持ち運びに便利な、折りたたみ式のパイプ椅子。たったそれだけが入っている。 線路沿いに少し歩く。そこは駐車場になっているのだが、舗装もされてなく、ただの広場みたいなものだ。そして柵の横にパイプ椅子を置き、まずはそれに座った。 膝をさする。体だけは丈夫だと思っていたのが、七十の声を聞いた途端に、右膝がおかしくなった。痺れがいつも付きまとう。 徳雄はディパックからノートを出し、パラパラとめくる。描きかけの絵を見つけ、大きく開いて視界の男衾駅と重ね合わせる。うん、ちょうどこの位置だな、と確認し、前回の続きを描いてゆく。 絵を描き出したのは息子に代を譲ってからで、それまではただの一枚も、描いたことなどなかった。それが今は三日と空けずに郊外へと出掛けてゆく。人間、変われば変わるものだ、と時おり苦笑する。 徳雄は色鉛筆で色を付けてゆく。絵の具は使わないで、すべて色鉛筆で仕上げる。絵の具の方が表現が豊かになるよと言ってくる者もいるが、徳雄は色鉛筆を使い続ける。持ち運びも楽だし、使い勝手も楽だ。もとより六十の手習いなのだ。本格的にやって苦労するより、できる範囲で楽しんだほうがいい。それに、亜流のスタイルだからこそ、偏屈な工場経営者がすんなり趣味にできたような気もするのだ。 自然を描きたくて、当初は八高線や秩父鉄道へ行ってみた。しかしちょっと遠すぎた。電車の本数も少なく、描く時間が削られてしまう。その点東上線はいい。景観はそんなに変わらないのに、運行本数は一時間に二、三本はあるのだ。ディーゼル区間の八高線は一時間半に一本程度だから、これは大きな差だ。 その東上線の中でも、この男衾駅は特に気に入ってしまった。眺めが広々としていて、のどか、という言葉がしっくりくる駅だ。気に入った徳雄は、穏やかな天気の日を見つけては、ここを訪れていた。 線路周辺の広い敷地に、雑草が生い茂っている。それがそよ風にさらさらとなびく。線路や駅のところどころが、陽の光に反射している。徳雄はそれらを丁寧に、色鉛筆で描いてゆく。もうこの駅、何枚描いているだろう。しかしまだ当分飽きることはなさそうだ。 ![]() 踏切の音がかすかに聞こえ、トコトコと歩くように、白い電車がやってきた。 |
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| ― 了 ― 次回の更新予定は5月15日(土)です |
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