| まつやま書房TOPページ>Web連載TOPページ>東上線 各駅短編集第六回 |
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第六回(2010.04.15更新)![]() |
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春、柳瀬川の土手沿いには桜が咲き並ぶ。 鉄橋を挟んで、上流下流どちらにも延びる桜並木。左右の車窓から、この時期東上線の乗客たちは、川に沿う薄いピンクのラインを楽しむことができる。 昼過ぎ、電車から降りた遥に少し強めの風が当たる。長い大学の春休みが終わり、今年度初の登校。久々の満員電車と人ごみに、ちょっとだけ疲れてしまった。 柳瀬川駅は、地上より一段高いところにある。先頭車両に乗っていた遥はそのままホームの端まで行くと、柳瀬川沿いの鮮やかな桜並木をしばらく見つめた。 この街に住みながら、満開の桜の下、土手を歩いたことはほとんどない。彼女にとって桜の季節は、少々厄介な季節だったのだ。 普段は閑散としている柳瀬川駅も、この時期だけはちょっとした賑わいを見せる。今日は平日だが、おだやかな天気に誘われるように、たくさんの人出があった。 駅を出た遥は、人の流れに乗って柳瀬川へと向かう。しかし、あとは道を渡れば土手というところで、逡巡して立ち止まってしまった。 ![]() 川には思い出が詰まっていた。今そんなところに一人で行って大丈夫だろうか。人ごみの中で泣き出す自分を想像し、ちょっとためらってしまった。だけれども、彼女は道を小走りに渡って、土手を上がっていった。 桜を見ながら歩く人々や、アマチュアカメラマン、シートを広げた花見の集団。土手や河原は賑わっている。そんななか、遥は一人、桜を見るともなしに歩いてゆく。 毎日のように来た柳瀬川。しかし毎年、桜の季節だけは足が遠のいた。愛犬の散歩が目的の遥にとって、たくさんの人出は邪魔だったからだ。 土手は、一旦道路で途切れる。車が次々遥を横切り、橋を渡ってゆく。国道へと抜ける道なので、道幅の割には大型車が多く通る。 チャ太はこの信号を渡れば走り回れると知っていて、いつも早く渡りたがった。それを抑えるのに気を使ったので、遥はこの信号が大嫌いだった。 信号が変わり、道を渡る。そしてまた土手が続く。 小型犬を連れている人が前からやって来て、遥はぼんやりと見つめてしまう。犬は時おり飼い主を見上げながら、ちょこちょこと歩いている。 チャ太の散歩をしていた頃、いずれここが悲しさを募らせる場所になるだろうとは考えたこともなかった。チャ太がいて、一緒に川を歩くことが日常で、いなくなったときのことなど考えられるはずもなかった。 本当に、何年この河原を歩いたことだろう。工事や台風などで何度か姿を変えたが、川はずっとこの街を流れていた。駅の近くに居座って道も通さず、駅前も広げず、川は街の発展を妨げたことだろう。しかし犬とすごす環境は、ずっと守ってくれていた。川のある街に住んでよかったと、遥は何度思ったか分からない。 昨年初めて、桜の季節にチャ太を連れてきた。 その半年前から寝たきりになったチャ太。この子は一度も、自分の散歩道の桜を見たことがない。ふと思い、遥はしっかりと毛布にくるんでチャ太を連れて行った。満開の桜のなか、チャ太は潤んだ目で花よりも河原に、じっと目を向けていた。 暖かい日を選んだが、果たして連れてきてよかったのかどうか。あれから一年、遥は同じ道を歩きながら小さく後悔する。チャ太は桜を見ることなど望んでなく、ただ負担をかけさせただけじゃないのか、と……。 途中に何人かが、絶対また元気になるよと声をかけてくれた。その言葉も虚しく、桜並木から一週間後にチャ太は深い眠りについてしまった。 動かないチャ太を毛布にくるみながら、日々、当たり前のように行っていた習慣が消え去ったことを悟った。もう「チャ太」と呼ぶこともなく、柳瀬川を散歩することもない。 それ以降、駅からどうしても目に入ってしまう川を見るのが、とてもいやだった。 でも、時間は少しだけ、気持ちの波を静めてくれた。一年振りにここを歩くことができたし、犬を散歩している人を見ても、涙が流れ出すことはなかった。ほんの少し、目が潤んだだけだった。まるで、最後にここに連れてきたチャ太の目のように。 遥は桜でなく河原に目を向けながら、ゆっくりと土手を歩いていった。 |
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| ― 了 ― 次回の更新予定は4月25日(日)です |
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