トップページ>有情無情散策

■有情無情散策■


トップページへ
第一回

 有情無情散策
執筆者 M


東松山大岡地区は、地域の人が過疎地域と自称しているだけに、まだまだ、え、こんなところがあったの、という場所があり、広いよなと感じてしまう。
 さて、いつものように光前牧場に行った際、舎主の光前氏がいないので、少し散歩、トレッキングをしようと斜面林を降りていった。里山はどこでも藪だらけであるが、ここ一角だけは、地主数人が管理しており、きれいに保全されている。急斜面でも整備されている里山は気持ちが良い。

 小生がいまだ紅顔の美少年だった幼き日には、近在のガキを率い、家から1q以上離れた西側の雑木林でチャンバラごっこを楽しんだものである。あの頃は、いまだクヌギ、コナラ、エゴノキなどの雑木が燃料に利用されていたので、それはきれいな林であった。陽がところどころ射し、その木漏れ陽と林の影、あちこちにある少し盛り上がったところがきれいな造形をなしていた。この盛り上がった地を城として、二手に分かれて争うのである。一方に強い人が固まっては面白みに欠ける。そこで両軍の力を互角にする。これもガキ大将の手腕である。

 エゴノキはまっすぐな木が多いため、チャンバラごっこの刀に使われることが多かった。当然現地で切ることになるが、管理人に追いかけられることも多かった。まあそれもスリルなのである。

 栗林も多く、ここでも追いかけられた。夏、唐子橋まで行き、夕方5時頃疲れ切った体力で帰る。家は松山台地の上にあるので、途中坂がある。疲れた体力には坂はきついものがある。チャンバラごっこをしたすぐ南側にその坂はあった。時々は南中の前の店でアイスキャンデーを買うのも楽しみの一つだった。買わない日もあり、途中で畑のスイカ、トマトをいただいたことがあったか、なかったか記憶は定かではない。

 いずれにしろ、小学校4年あたりから、水泳、チャンバラごっこでも、スリルと危険性がないとつまんなくなるということがありそうだ。良く「竹の鉄砲」などを作れる人がいるが、小生はそんなに遊んでいない。一回ぐらいはしたのであろうが、竹の鉄砲では怖さも危なさも少ない。一〜二回して、よりスリリングな遊びに移行してしてしまったのではないだろうか。
 
 斜面林から耕作放棄の水田に降りるところは藪である。そこから耕作放棄で廃棄物で土盛りされたところを行く。夏なら草だらけで歩ける場所ではないが、そこでよくズボンなどにくっつく実がばっちりとついてしまう。取るのに小一時間かかってしまった。
 取るのはあとになるわけだが、そこから北の沼に向かう。沼の下に溝があり、50センチほどのコンクリートU路溝を渡ろうとしたら、渡りそびれてU路溝にすねを打ってしまい、靴は溝の水に入ってしまう。痛いなんてものではない。失神しそうであった。

しばらく靴を水につけたままでいるしかなかった。「□□さんが何時から家を出たまま帰ってきません。服はこんなもの着ています。お心あたりがある方はどこそこまで連絡してください」なんて、良く災害緊急用放送でしているが、当たり所が悪かったら、小生もこの地で…。

光前氏に会って出かけたら、「帰って来ないな」なんてあるが、会ってもいない。まあ車で来ているから、どこに行ったのかと言うことになるか。
いやー大けがをしてしまったよ、と小一時間かけて、牧場に戻ると、自然は危険はつき物ですよね、オレも何回ケガをしたことか、とのこと。確かにそうだ。その光前氏もチャンバラごっこの仲間であった。


トップページへ一番上へ