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2004年10月31日(日)

 芸能の神様

 10月23日(土)午後6時に発生した新潟中越地震は甚大な被害がありました。被害者の皆様におかれましては、頑張ってとしか言いようがありませんが、なんと言っても今年は、台風23号が来たと思ったら、地震です。災害大国日本をまざまざと実感しました。

 さて、小舎のある東松山市は、駅(東松山駅)から3分の近いところに箭弓神社というかなり有名な神社があります。
その神社の一角に、宇迦之魂(うかのみたま)神社と言う神社があります。小生は毎朝夏5時秋冬5時半冬6時頃起きて、愛犬ベンと散歩に行っておりますが、散歩コースにその箭弓神社があり、大きな大層な本社に犬を連れてでは行きづらいので、時々、一角にある宇迦之魂神社に参拝し、商売繁盛家内安全をお願いしている次第です。その神社の敷地には、かつて、と言っても明治時代頃まで、狐が棲んでいたと神社縁起に書いていますので、その天敵の犬を連れてではまずいかとも思いますが、まあ神様ですから許してくれるかと思う次第です。

その宇迦之魂神社は、芸能向上を得意としております。江戸後期、時の歌舞伎俳優、第七代目市川団十郎が、芝居のヒットを祈念して、この神社にお参りしたところ、大繁盛。そこで江戸時代、この神社は、たいそうなにぎわいをしたとのこと。出版も、芸能とは縁が近いですので、そこで大ヒットをお願いしています。幸い、成迫政則著『武藏武士 上・下』は、新聞各紙(朝日、東京、産経、埼玉、埼北よみうりなど)に紹介していただいたおかげで、評判良く、著者共々喜んでおります。小生も、できる範囲でお礼をしている次第です。これを見る出版、その他芸術、IT関係の方、まあ西欧で言えばミューズの神様に関係される方、参拝されたらいかがでしょうか。なお、25日お参りしたところ、技能向上にもご利益があるとのこと。技術屋さんもいかがでしょうか。


 
古民家の移築

 小生が所属している特定非営利活動法人まちづくり楽会は、市民農園の運営管理、IT支援事業、都幾川比企丘陵エコツーリングの実施など、事務所を借り職員を雇おうと頑張っております。また、会としても個人としても、朝日新聞「声」欄にも掲載させていただきましたが、表記のことに燃えております。しかし、解体するだけで200万円強。移築するとしたら、3000万円、まして移築先の土地も決まっていません。何とも計画性のない事業に取り組んでいるわけです。

 移築先の希望はあるのです。東松山の郷土、そこを流れる都幾川を題材とした、打木村治著の児童文学『天の園』(文部大臣芸術選奨受賞作品)の地である、唐子の一角に移築したいのです。既に、自治体、教育委員会、自治会、公民館、県会議員、市会議員さんなどにはお話しています。しかし、多額の費用の予算組みが必要ですし、一市民団体のみでは実現可能なわけはなく、広く各方面の了解・ご協力を得なければなりません。特に唐子の地元には多大の迷惑、協力を得なければなりませんので、こちらの方言で言う「のめっこく」おつきあいをさせていただければと思っており、お願いしたいと存じます。

 いったい各地の古民家の運営管理状況はどうなっているのだろうか、県外(福島、新潟)の一泊二日の視察旅行を含めて、既に五回の視察を行っております。
廻ってみると、地元の人たちがうまく活用しているところがあり、地元の人々の交流拠点となっており、大変うらやましく感じました。
 特に囲炉裏の火、煙は、なぜかほっとします。たとえはうまく言えませんが、川の流れにも似ているようです。

 もし教えていただけることありましたら、ご教示のほどお願いいたします。

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2003年9月15日(月)

 小社の著者、須藤澄夫さんが生まれ故郷の群馬県片品村で、「少年哲学堂」を立ち上げたというメールが2003年(平成15)9月13日(土)に送信されて来た。一体、どんな学校かと思えば、私塾方式らしいが、細かいことは分からないので、いつか伺ってから報告させていただく。
 
 埼玉県教育委員会の社会教育関係が長く、それから飯能市の飯能一中の校長、同市の教育長、そして助役と言う経歴、そして詩、音楽、演劇の造詣が深く、通信紙、同人誌なども発刊するなど、多彩な面を持ちながら、飯能市の要職に進んで、須藤さんの才能を活かしているのかと言うことも若干心配だった小生は、その送られたホームページを見て、久方ぶりにわくわくした次第です。助役を今年3月退職され、「少年哲学堂」を設立したとの由、さすがと感じ入ったのでした。

 出版に関しては挫折の連続で、出版とは何ぞやなんて言えない小生ですが、この友人の健闘に励まされます。小社の須藤さんの本は、詩集『少年の夕方』、生涯学習の大切さを書いた共著の『働きざかりは生きがいづくりー定年になってからでは遅すぎる』があります。

 この『少年の夕方』は、小生の好きな詩集の一つです。そのうちの一つ(一部)を須藤さんにお断りなしで紹介させていただきます。


三 十 路 の 贓 物

三十にもなって/ と人が嘲笑う/ 俺には/ 決まった生業がない

三十にもなって/ 青臭い論を吐く/ 職もないくせに/ 人はそう/ 俺の背を衝く
三十の小僧っ子が/とも叱る/俺はどうしたらよいかわからない

あんな奴にとりあうな/ 職もないくせにぶらぶらしている/あんな奴に

電話の向こうを/ 怒鳴る友人の父の声がある/三十にもなって/三十にもなってと

気にするな/今すぐ近くで会おう/友はやはりいい

忙しくてもう会えないわ/明らかな嘘で/ 娘が別離を告げる

俺には/ 明日のパンがないから
中略
父はうめき/ 嘆息して死んだ/三十にもなって三十にもなって
どうするつもりか/ 夢じゃなかった
父は/父はホントに死んでしまった

俺は一等の安堵を得る
一等の安堵を
が俺は おれは
さようなら



 まだ他にも好きな詩がいっぱいありますが、一編を紹介させていただきました。今と違って30歳前後で結婚して、子供がいるのが普通であった時代の詩です。定職がないのはヤクザくらいの時代であったと考えてもらいたい。だから友人や本人の親父さんの文句が理解されるでしょう。


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2002年10月24日(木)
 凝り性、出版という亡霊


 前回の愚痴に続くが、小生は凝り性である。だから、こういうことをした方が良いよ面白いよ、とかいろいろ言ってくださる方が多いが、どうしても始めると凝ってしまう。

 以前から凝っているものを捨ててできれば良いのだが、小生の場合は、重なっていくタイプなので、それらに追われてしまい、幾重にも凝っていることが増えてしまうのである。 だから、人に勧められても、「ああ、面白そうですね」ぐらいにとどめ、新たな分野にチャレンジしないようにしている。もっとも、年を経たからだといわれれば、容認せざるを得ない気がするが。

 前回、メールについて少々記した。このメールも凝ってしまった分野の一つである。一日何回か見て、返信すると共に、多くの方に送るようになってしまった。それでなくとも雑用が多く、郵便の送信、返信、アンケート調査の返答、人との相談・問い合わせに追われているのに、またひとつ重荷を背負ってしまった感じである。

 1990年前後からバブル経済にあおられて、この比企の土地は次から次へと開発が進まれ、その無謀な自然大破壊の動きに反対せざるを得なかった。出版に専念する時代ではなくなってしまった。カネもない小生が、カネに追われながら、なぜ多くの方と共に夢中にならなければならないかと疑問に思いながら動いていた。その理由が、ようやくわかったのは、確か1999年の日本財団主催のシンポによってであった。約10年が経過したわけである。
小生の場合、カネのなさと市民活動が一緒なのである。表裏一体なのである。通常、ゆとりのある方がやると思われるが、しかし、全国各地の市民活動にいそしんでいる方を見ると、小生の場合は良い加減であるが、この表裏一体は、よくまといついてしまうようである。きっとくっつきやすいのであろう。家族、周囲の迷惑はいかほどか。
凝り性もほどほどにしなければならない。

 最近、出版の亡霊からようやく解き放たれたような気がしてきた。良い本を作らねば、売れる本を作らねば、という亡霊である。何かゆっくり読めて、味あい深い本を作りたくなった。これまで多くのゆっくり読めて、味あい深い本を作ってきたと思っているが、その凝り性の中に、出版の亡霊が根底に生きていた気がする。




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2002年10月8日(火)
 出版界の向こう側


 ペーパーレスの最先端とコンピューターが位置づけられながら、出版と言うと、本と言うことになる。見やすい、寝ながらも見える、あちこち見えるなど紙の利点は大きい。校正も紙に印刷(プリントアウト)しないと誤植が多いので、むしろ写植時代より紙の使用量が増えている。環境を考える会(特定非営利活動法人荒川流域ネットワーク)の事務局もしながら、環境に配慮していますなんて、恥ずかしくて言えない。

 不思議なことに、メールも多用させてもらって迷惑をかけているが、それでなくても悪文がメールだとなお軽い文章になってしまう。ときには自分ではがきや封筒に書くことも大切であると思える。メールは、つい話し言葉になってしまいがちである。
 そういえば詩集などで、すぐ校正してくる方がいる。あとあとまで残るのですから、ゆっくりで良いんです、というのだが早い。次に校正を出すと、また早く、どうでも良いような文章に直したり、もとの文章になっていたりする。もとの文章にもどっていたりすると慎重な方は「すみませんが元の文章の方が良かったので」と元原稿も見せないのに書いてくる。推敲を重ねているなと言う方がほとんどなのであるが、やはり早く校正してしまうというのは性格なのであろう。

 メールと早く校正するというのは、どこか似ている。早く見せたい、知らせたい、というのが根本にあるのだろう。メールは前述したように、基本は話し言葉であるなと思う。だから頭の中で推敲を重ねた文章ではない。頭に思いついたら書いてしまう。だから、どこかで軽い。

 「やはり紙にしないと」のぼやきが出る。外用材でなく、流域の材木が紙にならないかな、そしたら環境に良いのにな、なんて罪滅ぼしの言葉が出る、昨今である。



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2002年7月23日(月
 水辺の人、生物復活の時代へ

 小舎がある東松山の大岡と言う地域に、その地名から名付けられた大岡エコクラブ(会長・森屋敏江)と言う環境団体があり、そこでは絶滅危惧種などの蝶を育成するセンターを運営している。
現在、オオムラサキが最高調で30羽以上飛んでいる。またジャコウアゲハ、コミスジ、カラスアゲハ、キチョウ、モンシロチョウなどがはためいている。

 特に、アサギマダラは小生の気に入った蝶で、本当にきれいな蝶である。飛び方もひらひらと飛んでおり、これもきれいなコミスジとは違った飛び方で、優雅に飛んでいる。

 育ての親とも言うべき、伊藤和貴さんに言わせると、人間との接触が豊かなだけに、人間が危険でないと認識しているようだとのこと。確かに、人が近くにいても、ジャコウアゲハなど花から離れない。

 オオムラサキも目の前に見られるのだから、実に参考になる。荒川中流域の自然再生事業地には、幼虫が食べるエノキがあり、成虫が吸うコナラ、クヌギがたくさんある。しかし、蝶は伊藤さんの観察(2002.7.14)では、20種以上の蝶が同定されたが、オオムラサキは確認されなかった。我々素人には、自然豊かな地と思われても、生物には、子が育ち、タマゴを産める地ではなかったのかも知れない。7月20日には、日高市の巾着田で、ゴミ拾いをしたが、そこではオオムラサキのメスの死骸があり、別に、当日大型バスで小学生を大挙して連れてきた、荒川下流のNPO法人荒川クリーンエイド・フォーラムの野村圭祐代表が確認をしている。

 今は、荒川流域の各地で、人も生物も種も数も少ない時代である。人が行くには木陰、浅瀬、トイレ、水施設がなければならないが、そのような条件が許す箇所は僅かである。生物にとっては説明する必要はないだろう。これから復活の時代である。



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2002年6月27日(木)
情報とは

 更新が遅れてすみません。1週間に1文章くらいは書けるのですが、このホームページの更新の仕方を知らないものですからできなかった次第です。やはり覚える必要があります。出版業界は完璧にゆきづまり状態です。しかし、かなりつっこんだオタク的本は今でも需要があると思います。

 小生、ビデオが普及し始めた時、考えました。ビデオにすべて席巻されるのではないかと。しかし、ビデオと本は制作料が二桁違っていると気づきました。自ずから制作本数が決まってくるわけです。本が年間3万点から5万点。ビデオ・映画は500本くらいでしょうか。ただし、アダルト物(定義は難しいですが、まあ適当に理解判断してください)を除きます。

 今、コンピュータ情報があります。このコンピューターを使って、活字情報を有料で流すのは、単に紙からコンピューターに移行したにすぎず、お客・需要は同じです。
 そして何より制作費が安くできます。ですから出版社とすれば、このホームページから有料でダウンロードしてもらう方法が得なのです、。うまくその需要層に到達できる方法がまだないわけですが。
 しかし、本でと言う方もいるでしょう。むしろ今後はそちらの方が問題化してくるでしょう。

 編集、割付、画面からのダウンロードの制作費は200頁程度で、写真・地図などが入って、人件費を入れて50万円程度でしょうか。もし、500円とすれば、書店における本の5割(書店では1000円から1300円程度)以上割安です。一応直取引なので、計算上は、1000部売れれば元は取れるわけです。書店売りは最低2000部が採算分岐点ですが、ダウンロードは1000部というわけです。
 むしろこちらの方が出版社の生き残りは可能性があります。ですから、情報発信屋はいつまでも生き残れるわけです。本当に需要にあった情報ならですが。  
         
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2002年1月10日

 出版を始めて21年が経ちました。その間、カネ、カネの苦労だけでしたが、楽しみは、出して何年も経っているのに欲しいと電話があったりすると、嬉しくなってしまう、何ともカネに縁の無い、情けない自分でした。

 バブルなんて何処吹く風、そればかりか、周りじゅう、ゴルフ場建設、ダム建設、なんとか建設、比企自然公園なんてあるのに、関係なし。建設+破壊の連続、それはないよ、比企、八高線沿線のあちこちで、反対運動が起こりました。
 そのゴルフ場建設計画の跡地を、どう保全するか、今後の問題となっております。

 そんな訳で、出版、市民活動の二股をかけた商売が、今も続いております。
 現在、愚息が荒川流域ネットワークのホームページを作っておりますが、この秩父から戸田市までの河川団体60団体、および個人会員からなる荒川ネットの事務局もさせていただいております。

 新聞業10年、出版業21年、活字を相手の商売で、人生が終わろうとしております。週に一回程度で、このコーナーを更新していきたいと思っております。

 ぼやきにおつきあいしていただければと存じます。
                    山本 正史

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